ディアドクター

 「ゆれる」の監督×鶴瓶さんの映画です。以下、ネタばれ致します。

 表面的なストーリー構成としては、松重さん演じる刑事さんが言ってた「(自分が人の命の手綱を握れるんじゃないかって言う)オナニーに村人達を使ったって事か」ということと、それに対する批判、鶴瓶さん演じる伊野の言う「ここの村の人たちは足らんことを受け入れてるだけや」ということなんだと思う。それだけでも、高齢化の進んだ地域の医療の質の低さ、サービス制度のなさとかっていう社会問題に繋がっていて、示唆的である作品だと思う。でも、私はこの作品をそれだけとして捉えると、何かを見落とすなぁ、という感覚も同時に抱きました。伊野がもう自分を息子として認識しない父に「お父さんのライト盗んだの僕や、」と電話したこと、八重草薫演じるおばあちゃんにだけはちょっとだけ自分の出自を話したこと。「誰も伊野の話を真剣にきいちゃいねぇ、」という刑事さんの台詞。無免許で医師のフリをするなんて、良い事なわけないんだけど、伊野タダ1人が悪役と思われることをちゃんと許してくれない。「あの人は母をどうやって死なせるつもりだったんだろう」という井川遥演じる娘かつ都会お医者さんの台詞とマスクの向こう側に伊野を見つけた時のおばあちゃんの笑顔、豊かさと近代性によって生み出された利益たちの享受をどうやって結びつけるか、突きつけられました。